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きりくちぶろぐ

好きなきりくち(切り口)から、漫画、映画、本、思想、事柄を語ったり、やってみたり

無自覚に批判反論をしてしまっている人のたった1つの特徴

Worried!

 

ブログなんかを書いていると、オープンにもクローズドにも色んな意見をもらう。

中には

 

「おお、その観点はなかった!」

「まじか!考え進むわー!!!」

 

みたいな、めちゃくちゃクリエイティブな意見をもらうこともあって、これこそがブログの醍醐味だなーと感じることもしばしばである。

 

 

一方で、

 

「ん?」

 

という意見もある。

 

いや、率直に言って

 

「は?喧嘩売ってんの?」

 

という意見もある。

特に直接よく知らない人や、匿名性の高い人にそういう傾向がある。

関連記事:「炎上でへこむなんてばかなの?」そう思ってましたよ。

 

 

 

これなんでなんだろうなーと。

で、そういったコメントやメッセージをつぶさに観察・分析していたら(心を痛めながら)、どうもこの人達は反射的に反論しているフシがあるということに気づきました。

 

ブログ「ぼく、〜〜って思うんですよね!」

ある人「いや、〜〜ではない。」

 

と。

 

いやいや、ちょっと待って?

いんですよ、違う意見は。

それがあるおかげで、より高いところで融合できるかもしれないんだから。

むしろ、違う意見こそありがたい。

 

でもさ?

反射的に反論してきた人の意見を、そういうものとして捉えられる?

 

いやより正確に言うと、反射の反論は自分がブログで書いた以上の情報が付加されていない。だってただの反射だもんね。その人自身を通っていない。

 

 

ブログ→ ←反射的反論

 

こんな感じ。

だけど、「この人すごいなー」という意見を発している人は

 

ブログ → 自分の中で咀嚼 → 意見を追加

 

なので、少し、進む。

ブログの意見に価値が付与される。

ブログを書いた側も、汲み取ってもらったみたいで気持ちいい。

ぜんぜん違う意見だったとしても

「ふむふむ」

と耳を傾ける。

 

そう!汲み取る!!

 

 

これがポイント。

ブログを読んで

「んー自分の感覚とは違うなー」

と思ったときに、

 

「それは違う!」

 

と言っちゃうか、

 

(一旦このブログが全部正しいとしたとして、自分ならこんなCASEの場合どうするかなー?結論一緒かな?違うかな?)

 

 

と考えるかの違い。

これは全肯定しろということではなくて、味付けすることなく一回自分の中に入れてから考えようよ?

という提案ですね。

 

反射的反論をしている人の中には自分としては全く反論もしていないし、ましてや批判なんてかけらもつもりはないと感じている人もいるんだけど、割りと上記のように反射的にリアクションしていると、相手に

「うわあ、あいつに批判された・・・」

と捉えられていることも多いよ?

 

もったいなくない?

どうせなら何かが生まれるような意見を出さない?

嫌われるよりさ。

 

なんか結果として、反射的反論をしている人が、成長しない人とイコールになってしまった。

関連記事:成長したいのにできていない人が、やっていないたった1つのこと

 

 

が、まあそういうものなのかもしれない。

 

ということで、おあとがよろしいようで。

 

目次:きりくちぶろぐの目次

 

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