きりくちぶろぐ

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何かを表現するときは、過去の自分を救うためにしてるのかもしれない

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photo by lauragrafie.

 

いろんな表現がある。

 

写真、音楽、絵画のような直接感性にガチ当たりしてくるものや、小説やプレゼンのように一旦理性を介して人の心を動かすもの。

また、そんな高尚なものではなく、日々の出来事を綴ったブログ、仲いい人からの相談に対する回答、なんでも表現なんだと思う。

 

 

そんな表現を人は辞めることはできない。

 

なんでなんだろうね?

 

おそらく、楽しいからだ。
うん、間違いない。


ではなんで楽しいんだろうね?

 

理由なんてない。
やりたいからやるんだ。

 

うん、素晴らしい。
俺もそう思う。

 

それがなければ、表現なんてやめてしまえ。
そう思う。

 

ただあるときふとブログを書きながら


なんか救われたなぁ


と思った。

なんのことかよくわかんなかったんだけど、凄く嬉しくなったのを覚えている。

 

最近それを思い出して、あれなんだったんだろうと考えてみたんだけど、どうもポイントは「今」じゃないみたいだ。

いや、正確には「今」「昔」のことがわかったみたいだ。

 


んー「わかった」というとまだ正確じゃないな。

 

今、昔のことをやっと位置付けられた

 

これが今のところ一番ピンとくる。

 

過去の出来事は、事実としては変更不能だ。

ただし捉え方は無限だ。

 

 

 

そんなの知ってる。

 

じゃあどうすればいいの?

自分の意志で捉え方を変えるの?

 

 

そんなの無理だって。

人はそんなに強いものじゃない。

 

 

だから、「昔」の捉え方を、自分にとって良いものにするのに、「今」の表現があるのかもしれない。

 


今の自分が何気なく綴った一文が、過去の自分が誰かに言ってもらいたくてたまらない一言だったりする。

 

今表現をすることで、他の誰でもない、昔の自分を自分で救っているのかもしれない。

そう思った。

 

 

そしてさらに、過去の自分が友達に送っていたメールの一言が、今の自分が欲しくてたまらない一文かもしれない。

 

 

 

 

そう考えると、今の表現は、未来の自分にも向けられているのかもしれませんね。

おあとがよろしいようで。

 

 

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