きりくちぶろぐ

好きなきりくち(切り口)から、漫画、映画、本、思想、事柄を語ったり、やってみたり

本当に好きなことの見つけ方 〜普通好きなことなんてないよね?〜

まず、この記事を読んでくれ。
 
 
素晴らしい記事だ。
あまりに素晴らしくて、池田潤さんの以下の書籍を購入

 

自分の「武器」を見つける技術

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毎日15分自分と向き合えば、「欲しい結果」がついてくる

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読みじゃくった。
 
結論、俺、この人好きだw
 
生き方が格好いい。
アドラーと池田潤を二大巨匠としようと思う。
しかも生きてて更新されていくって素晴らしいよねw
 
 
 
と、僕の感動は置いておいて、この記事に戻ろう。
 
 
そうなんだよね。
 
「好きなことをやれ」
 
これ、僕の中では腑に落ちているんだけど、自らの口で
 
「好きなことやったほうが良いよー」
 
って言った時の違和感がすごかった。
相手の反応、伝わっていない感。それらがすごい。
 
 
なんでなんだろうなーってずっと考えていたんだけど、まさにこれですね。
 
「どうすればもっと◯◯できるようになるだろうか」
 
と問いを持ち続けられることが、好きなこと。
 
僕的な表現に変えると、無意識にこだわれること。
 
一つのメルクマールとして、他の人から
 
「どっちでもいいじゃん」
 
って言われたことがあることが好きなことだと思う。
例えば僕の例だと、
 
今揺れ動いた気持ちを表現する言葉
 
とかめちゃくちゃこだわってしまう。
 
「その時の気持ちはあれ?みんなが給食食べて自分だけ残っている時の気持ちに近い?」
 
「それとも、みんなでわいわい騒いでいるとき、ふと冷静に孤独を感じた時の気持ちに近い?」
 
みたいなことを言ってしまうw
 
相手が本当に感じたことを、最も適切な言葉で表したい。
その気持ちがめっちゃ強い。
 
おおお、書きながらかなりの発見だぞこれは。
漫画や本や映画が好きなのは、もしかしたらその目的に向かう手段だからなのかもしれない。
上記の誰か(もしかしたら自分)の気持ちを正確に表現すること自体が目的で、その他の好きなことはその表現方法の拡張手段にすぎない。手段だけどその目的に向かっているからその時間自体も楽しむことが出来る。
 
 
と、ちょっと待てよ。
そう考えると、正確な表現も一手段で、実は真の共感自体を求めているのかもしれない。
誰かと真の共感ができた時の幸福度が僕は一番t…。 と、止まらなくなるのでこの辺で。
 
 
 
 
ということで、友達に
 
「それどっちでもよくね?」
 
と言われたことを思い出してみるのはいかがだろうか。
上記の僕のような思わぬ発見があって、思いがけず
 
「ああ、これ自分では普通だと思ってたけど、好きだったんだ…」
 
 
 
てことに気付いたりするよ。
なので、ぜひぜひ。
 
ではでは。
 
 
 
<目次>
 
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