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きりくちぶろぐ

好きなきりくち(切り口)から、漫画、映画、本、思想、事柄を語ったり、やってみたり

トラブルと遊べやんちゃボーイ

さて、最近トラブルが続きます。

いや、しかも結構なレベルで。iPhone割れたとかはまじで序の口で、こうなんというか自分の力ではどうしようもないようなのが押し寄せてきます。そして今までは、笑い飛ばしていたような事象も、トラブルとしてとらえてしまっている節がある。

 

なぜこのような事態に陥っているのか…。

 

今日朝7時に起き、この時間まで考えてみた。

 

そのうえでの結論として、大きく分けて2つあると思われる。

 

1つ目は、

「軽やかに試す」というスタンスに変えた

 

今までは、

「きっとこうなるから、やめとこうか」

と頭で判断して、行動の取捨選択をしていた。

これが冷静だと思っていたのだけれど、これはただ自分の体験量を減らしているだけであり、実際に試してみると非常に多くの学びがあった。

ほぼほぼ想像通りなんだけど、ほんとに全体の1%想像と違うところがあって、それがまさに体験の価値、人生の価値なのかもしらんと思う。

 

あと「リスクはフリスク」というのも自分の中に標語にしていて、大体考えられるリスクはビビってるからつくってるだけで、やってみると案外できる。それに、実際やってみて、怒られてからやめた方が、最初からやらないよりも自分の限界が広くなる。やまだ円が広がっていくイメージ。

 

まあそりゃトラブル増えるよねw

これは受け入れているつもり。

 

じゃー何が問題なのか、そう2つ目である。

作っていた「山田」を脱ぎ捨て、ありのままの「やまだ」になったことで、一つ一つの事象の受け取り方が何倍にもなった

 

今まで僕は、「イケてる山田」を作って、行動してきた。

すごく仲いい友達には、「やまだは山田というキャラクターを扱ってる人みたいだよね」と言われてた。(今思うと、まじでしっくりくる。ありがとうたかしw)

 

そうすると、「イケてる山田」がどんだけ批判されても、別にそんなには傷つかない。なぜなら、そこまでの反応含めて、「イケてる山田」を作っていたから。

たとえば、女の子にだらしない山田(だけど、実際話すと想像と違って惚れられる)みたいな。だから、どんだけ周りの人に「まじでお前女の子関係だらしなさすぎやで、気をつけろよ」と言われても、「あははー」で終わってた。だって計算通りだったから。

 

そんな僕ですが、本質的な「やまだ」でないことがめちゃくちゃ損しているような気がして、そういうの全部やめたんですよね。そうすると、体験の質が変わって、間違いなく人生が豊かになった。うん、それは間違いない。

 

一方で、まっじできつい。。

他社からのフィードバックや、噂話っていうのが、生の「やまだ」について言われているから、ネガティブなものを受け取ると人生否定された気持ちになる。まじつらい。

 

 ちょっと前の自分なら、「そんなつらくなるなら、キャラ用意すればいいのに」って思ってたんだけど、一度人生の味わいともいうべく体験の質向上を感じてしまうと、戻す気にはなれんよね。

 

そもそも、キャラ作ってたのだって、「そうなりたい」という憧れで作っていただけで、ほんとの自分を見ないようにしてただけだしね。

 

 

と、いうことで、うん、トラブルはしょうがないw

だったら遊ぼう!

それが今日の結論w

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